日本の伝統的な織物として広く知られる、精緻で華麗な京都西陣織。

今回は、西陣織の歴史を、時代を追ってご紹介いたします。

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□西陣織の歴史

・古墳時代

古墳時代には、渡来人によって京都の地に養蚕と絹織物の技術が伝えられました。

・平安時代

平安時代には、朝廷は、織部司と呼ばれる、最高級の織物の生産をつかさどる役所を設置しました。

織工らは、現在の京都市上京区に集まって、織部町をかたちづくっていました。

しかし、律令体制の崩壊に伴って、朝廷による工房の維持が難しくなっていきます。

そこで、織人らは、民業による製織を始めました。

・鎌倉時代

織人らが作っていた「大舎人の綾」「大宮の絹」は、京の名産品となりました。

これは、庭訓往来という、室町時代前期に使われていた教科書からも分かります。

・室町時代

室町時代には、大舎人座という同業組合が作られました。

一度は、11年間にわたる応仁の乱の勃発により、織人らも移住を余儀なくされましたが、戦乱の終結後には京都に再び戻りました。

このとき、応仁の乱の西軍が拠点としていた大宮今出川付近で大舎人座が組織されます。

これが、「西陣織」という名前の由来でございます。

大舎人座は、朝廷からの注文だけでなく公家や武家からの注文にも応えており、京の機業をリードする伝統あるものだと認められていました。

・安土桃山~江戸時代前期

明から当時の最新技術が輸入され、これを利用した紋織が発案されました。

これが、高級精妙な西陣織の基礎を築いたのです。

西陣織は、豊臣秀吉や幕府からの保護を受け、新たな技術を取り入れながらますます発展していたので、この頃を黄金時代とも呼んでいます。

西陣を中心とした京の絹織物の高い評価は、かの有名な「東海道中膝栗毛」からもうかがい知ることができます。

・江戸時代後期~明治時代

繁栄を遂げた西陣織ですが、江戸時代の後期には飢饉や大火などの危機にさらされます。

さらに明治になって東京に遷都されたことも、需要を失う原因となりました。

しかし、京都府による保護育成などもあり、フランスの技術の導入によって近代化を果たし、再び西陣織の名を高めました。

・昭和時代~現在

第二次世界大戦以降、さらなる機械化が進みました。

そして、西陣織は、昭和51226日に国の伝統工芸品に指定されました。西陣織には、下の画像の眼鏡型の証紙が縫い付けてあります。

右下の数字は機屋を示していて、番号を見ればどこの機屋で織られたものかがわかるようになっています。番号が古いほど、歴史のある機屋とわかります。

□まとめ

以上、西陣織の歴史についてご紹介いたしました。

長い歴史が織りなす、洗練された美しい西陣織を身に纏ってみませんか。

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