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着物か洋服か。お花見のルーツから考える女子会向けの装いとは2018.02.23
お花見と聞いて真っ先に思い浮かぶお花は「桜」でしょう。
現在となっては、お花見というと桜をイメージしますが、梅の花がお花見の主流だった時代もあるのだとか。そこで今回は、お花見の歴史とともに、春のお花見で女子会に着ていく着物について考えていきましょう。
奈良時代のお花見
奈良時代のお花見と言えば、梅の花が一般的でした。そのことは、奈良時代に作られた万葉集からも読み取れます。
桜を詠んだ歌は40首なのに対し、梅を詠んだ歌はおよそ120首と、梅が主流だったことが伝わってきます。
平安時代のお花見
お花見で桜が一般的になったのは、平安時代に入ってからでした。
平安時代に作られた古今和歌集では、奈良時代の万葉集とは違い、桜を詠んだ歌が梅を詠んだ歌を上回っています。
なぜ日本人の中でこのような変化があったのでしょうか。
そこには遣唐使の廃止が大きく影響をしています。梅の花は元々中国文化の一つとして伝わってきました。
しかし、遣唐使が廃止されたことにより、日本独自の文化が発展し始めたのです。
したがって、日本古来の桜の花がお花見の主流になったのです。
安土桃山時代のお花見
平安時代までのお花見は、貴族のための文化でした。
鎌倉時代に入ると、武士たちの間にもお花見が広がり、お花見文化は安土桃山時代まで伝わっていきます。
少しずつお花見の内容にも変化が見られ始めました。
貴族のお花見は、庭に咲き誇っている桜の樹の下で、風流に歌を詠むのが一般的でした。
しかし、武士たちにもお花見文化が広がってからは、桜の下で宴会が行われるようになります。
この宴会文化は、豊臣秀吉が、桜の名所である醍醐寺に多くの人を招いてお花見をしたことが始まりとされています。
こうして、現在のお花見と宴会の組み合わせが出来上がったのです。
農民のお花見
お花見のルーツは、奈良時代の梅以外にもう一つあります。
農民の間では、春になると「春行き」「春山入り」というものが行われていました。
冬をもたらす山の神様を送り返し、春を呼ぶ他の神様を迎える儀式のようなものです。
具体的には、桜の下でお酒や食べ物を頂戴して一日を過ごし、桜の色や開き具合でその年の豊作を占っていたそうです。
江戸時代に入ると、この儀式としてのお花見が、貴族由来のお花見と融合します。
その後娯楽としてのお花見として日本人に定着していきました。
桜のお花見の歴史的背景やルーツを知ることで、お花見をより一層楽しめるのではないでしょうか。
桜は日本の誇りです。
お花見女子会へは、着物でお出かけしてみませんか。桜の柄の着物や帯は、案外見つけやすく、初心者さんがはじめて季節の帯を選ぶにもハードルが低くおススメです。手ぬぐいや小物などに桜の柄を入れるのも素敵ですね。
また、桜の柄でなくとも、薄いピンク色やサーモンピンクなどで、桜を表現してみるのもいいでしょう。
素敵な着物をお召しになって、桜で一句詠みあうのも粋ですね。風流な日本文化への理解も深まるのではないでしょうか。
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おかもとたかこ
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