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浴衣好き女性の方必見|博多織りの帯の特徴とその歴史とは?2018.08.05
浴衣の帯としても、とてもも魅力的な博多織りの帯。
歴史的に見ても重要な博多織りは、現在でもその発展がとどまることはありません。
現代人のライフスタイルの変化とともに、博多織りも変化しています。
変化の例には、博多織りのネクタイがあります。
帯に施されることが主流であった時代に、当時の人々は、将来西洋の人たちのように日本人がネクタイを身につけるようになり、それに博多織りを利用すると想像できたでしょうか?
博多織りの魅力は一言で語ることができませんが、今回は特徴と歴史をご紹介したいと思います。
【博多織の特徴は頑丈さにあり】
博多織りの特徴は、締めたら緩まないところです。
先染めの糸を使い、細いたて糸をたくさん使用し、太いよこ糸を強く打ちこむことで実現します。
柄を織り出すときにたて糸を浮かせるところも特徴的ですね。
生地に適度にある厚みと張りがあることも、そうした特徴を生み出す一つの要因です。
かつてはその頑丈さから、武士たちに人気がありました。
重い刀を腰にさす武士にとって、頑丈でしっかりと締まる博多織りの帯はとても重宝されました。
丈夫さを誇る博多織りですが、いつどこで誕生したのでしょうか。
ここからは博多織りの歴史を紐解いていきます。
【博多織りは伝来してきた】
織物の技術はかつての中国・宋からやってきました。
1235年に満田弥三右衛門(みつた やそうえもん)が宋へ向けて博多を発ちます。
6年間の滞在を経て、彼は「織物」「朱焼」「箔焼」「そうめん」「じゃこう丸」の5つの技術を日本に持ち帰りました。
弥三右衛門はそのうちの「織物」の技術以外を人々に伝え、「織物」だけは家伝として独自の技術を加えて伝承したのです。
この時の織物は「広東織」と呼ばれ、博多織りの基盤となるものです。
さらに250年後、彼の子孫である彦三郎が再び中国へ渡り、織物の技法を研究しました。
その研究から、帰国後彦三郎はさらに改良を加えて、生地が厚く模様の浮かぶ織物を完成させたのです。
この織物が、博多の地名に由来して「覇家台織」(はかたおり)と名付けられたと言われています。
【博多織りは献上品だった】
かつて幕府に各地で献上品を納めていた時代、現在の福岡県北西部にあたる筑前を黒田長政が支配していました。
長政は幕府への献上品として博多織を選んだのです。
献上品の帯の模様は、仏具の「独鈷」(とっこ)と「華皿」との結合紋様と、中間に縞を施した定格に固定されていました。
この模様を「独鈷、華皿浮け柄」と呼んでいたのが、「献上」と呼ぶようになったのです。
二本の太さの異なる縞は、太いほうが親、細いほうが子を表していて、太い二本の縞の間に細い縞があるのが親子縞、その逆が孝行縞と呼ばれ、それぞれ親が子を守る、子が親を守る意味が込められていて、これが博多献上帯の典型的な柄です。
流行に左右されない博多献上帯は、いつの時代にも普遍的な柄として、現代にも息づいています。
今回は博多織りについてお伝えしました。
帯ひとつにも、たくさんの歴史が隠れています。
現代の私たちが、柄の美しさだけでなく締めると緩みにくい点でも重宝している博多織りが、かつては武士たちを支えていたと思うと、とても感慨深いですね。
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おかもとたかこ
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