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江戸小紋はもともと武士の制服だった?!江戸小紋の秘密に迫る2017.11.23

江戸小紋はもともと武士の制服だった?!江戸小紋の秘密に迫る

今日は「江戸小紋」についてご紹介しましょう。三大友禅として、京友禅、加賀友禅、東京友禅があることを前回のブログでお知らせいたしました。

今回の舞台は東京。「江戸の粋」と言えば江戸小紋、その歴史について書いてみます。

江戸小紋は武士の制服だった?武士の闘争心が、こんなところに!

江戸小紋の発祥は、室町時代と言われています。江戸時代になり、武士の礼装である、裃(かみしも)の柄に取り入れられ一気に花開きました。参勤交代で江戸に集まる武士たちが一目でどこの藩の武士かわかるように、各藩の柄を決めたのです。これを「定紋」「留柄」と言って、他の藩での使用を禁止しました。まるで制服みたいですね!

江戸小紋は、遠くから見ると無地にしか見えません。至近距離で見ないとその柄がわからないほど細かいのには、理由があります。大名間で柄の豪華さを張り合うようになったことに、危機感をもった幕府が、ぜいたく品に規制を加える「奢侈(しゃし)禁止令」が出したのです。豪華さに制限をかけ目立たない柄を推奨したことが「あの大名よりも細かい柄を」と、かえって高度な技術を生み出すことになるという、想定外の結果を生み出しました。

眼に見えないほどの細かい柄を彫ることは、武士のプライドを一身に背負った職人が挑戦し続けた結果でもあるのです。また、上の位になればなるほど細かい柄を着ることが許され、その細かさでその武士の階級がわかったといいます。

様々な場所で、バチバチと火花が散っていたのですね。

江戸小紋の命、伊勢型紙とは?

柄の種類も数えきれないほどある江戸小紋ですが、どうやって柄を出しているのでしょう。柄は、型紙を彫ることで表現されています。この型紙は江戸では作れず、伊勢(今の三重県)で全て生産されています。半円形の彫刻刀を垂直にして、回転させながら彫っていくのですが、特に細かい柄などは、3×3センチにおよそ900個の穴が開けられています。職人さんの気迫を感じますね。

中でも「鮫」「行儀」「通し」という文様は「江戸小紋三役」と呼ばれ、一番格の高いものとされています。伊勢型紙が作られた伊勢は、紀州徳川藩のお膝元。その紀州徳川藩の定紋は、「鮫」。一番格の高いものが型紙の生産地であるというのは、偶然なのでしょうか?

江戸小紋に「粋と心意気」が潜んでいる、その理由

さて、出来上がった型紙は江戸に運ばれ、染屋さんの手に渡ります。場所は神田川の周辺(現在の新宿区、練馬区)に集中しています。着物の生地に、型紙の彫られた部分にだけ糊を置く、「型付け」をしますが、この作業が江戸小紋の生命線。およそ13メートルある一反の反物に、20~30センチ前後の型紙の、型と型との継ぎ目を何十回とあわせて糊を置いていく気の遠くなるような作業には、少しの誤差や妥協も許されない一発勝負。やり直しがききません。

全体を染めて糊を洗い流すことで、地色(全体の色)と目色(柄のぬけた白い部分)のコントラストが美しい、江戸小紋が仕上がります。

多くの色を使う友禅と違い、一切のごまかしがきかない単色の江戸小紋。江戸小紋を着ると、背筋が伸びるのは、職人さんの気迫をまとっているからなのかもしれません。

江戸小紋は幅広い着用シーンで活躍する、とても便利な着物です。1枚持っておくと重宝しますよ。ぜひ一度ご覧になってください。

多千花きもの着付け教室は、神楽坂にある初心者専門きもの着付け教室です。

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おかもとたかこ

神楽坂、多千花きもの着付け教室主宰。理論的でわかりやすい個人レッスンが人気。海外在住の生徒さんも多い。
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